ABC座2015年に対する自分なりの仮説

・ABC座2015を観劇されていない方

・ABC座2015を観劇し、純粋にお芝居の世界を楽しめた方

 

以上の方は、まず今すぐこのページを閉じて下さい。壮絶にネタばれします。

 

 

 

まず「ABC座」という説明から。

A.B.C-Zはデビュー以来毎年日生劇場で「ABC座」という舞台を上演しており、ここ2年は「ジャニーズ伝説」というジャニー社長の思い入れがかなり強い舞台を披露していた。

 

そして2015年。

A.B.C-Zがタッグを組んだのは先輩である錦織さん。しかも作・演出として。

今まで社長の作品を演じてきていた彼らが色々な外部の経験を得たこのタイミングで錦織さんにお願いするという事は、必然の流れの様な気もするしかなりの大冒険だったとも思う。

 

そんな作品「サンズ・オブ・マッシュルーム」はざっくり言うと、売れないバンドマンがビートルズのいる時代にタイムスリップし、衝突しながらも成長していく物語。

 

タイムスリップ物というのはどこかで必ず時系列がおかしくなったり矛盾が生じるので、深く考えずに目の前で起こる事を純粋に楽しむのが持論。だから非常に楽しく観劇していた。

 

「過去のプラネッツと現在のプラネッツのステッカーのロゴとデザインが同じ」という1点を除いては。

 

こんな偶然ある訳がないのは、その後のショウタの「僕たちは転載してません。東京オリンピックは5年後ですよー!」という、某エンブレム転載事件をもじった台詞からも分かる通りだし、わざわざこんな台詞を入れるということは、つまり彼らはこのロゴをどこかで目にしていた。と考えてしまった訳である。

 

しかしショウタの「転載していません!」という言葉を信じるのなら、ではこの事態は一体?

 

そこで楽しく深く考えずに観劇するつもりだったが悪い癖で一つの仮説を立ててみた。

 

(ここからは完全に私による仮説であり、空想広がる物語になるのでご注意)

 

それは「リョウスケは事故によって時空を旅する。生きることも死ぬことも出来ない時の旅人。5人は天使が変身した姿である白猫を助けた為、パラレルワールドに迷い込んだ」説。

 

非常にわかりにくい仮説なのは重々承知。なのでもう少し分かりやすく。

 

①現代にて5人が集まり「プラネッツ」が結成される。バンド名を考えたのはリョウスケ

 

②プラネッツが現代で札幌に向かう際に事故にあうが、この時にリョウスケだけ過去(1965年)へ飛ばされる。尚この事故の原因は猫ではない。

 

③過去でリョウスケは一人で「プラネッツ」というバンドを組んでいた五郎と出会う

 

④あるタイミングで再び事故に合い、過去での記憶をほぼ無くした状態でリョウスケは再び①へ戻る

 

 

これでちゃんと伝わるか伝わらないかは分からないけれど、つまりリョウスケだけが何度も1965年の同じ時間にタイムスリップし、何度も五郎と出会い、また元の世界に戻ってきてしまういわゆる「時の旅人」だったというトンデモ仮説を私は思いついてしまった訳だ。

 

なぜリョウスケが何度もタイムスリップするのかは、神様のいたずら気まぐれとでもしておこう。

ただ「顔も知らない生き別れの両親がいる」という設定は、「突然居なくなってもそんなに心配する人が居ない」という設定とも受け取られる。

 

何回も一人で過去へ飛ばされては戻ってきているリョウスケだったが、ここで彼の運命を変えるトラブルが起こる。

 

ドライブ中に白猫ラムが飛び出してくるのだ。

 

このラムというのがたまたま神様の遊びを見にきた天使が変身した姿であり(だから白猫)、ラムの登場というハプニングによりあの場にいた全員タイムスリップしてしまうのだ。

 

羽田に着いた4人はタイムスリップした事に驚いているが、リョウスケは4人ほど驚いてはいない。彼がこの時一番不思議がるのは白猫が登場した時だった。記憶は無いが潜在意識の中で見た光景と違う…その答えの出ない違和感の表情だったのでは。

 

その後五郎とプラネッツは出会い、瞬く間に人気者になっていくのだがこの時には2人とも記憶は無いが潜在意識はある状態だと考えられる。

 

この無意識の潜在意識でリョウスケがタイムスリップした際に目にしたバンド名とロゴを選んでいたとしたら…ステッカーの謎が解決。

 

さてこの辺りでとある人物の存在が大きくなってくる。それはフミトことサターンである。彼になぜ「サターン」という名が付けられたかは不明だが、サターンは売れていくにつれ自分勝手に暴走していく。その様はまるで悪魔にとり憑かれた様であり、サターンの紹介の際の言葉に「悪魔じゃないのよ、(本当は)悪魔でも」という意味が隠されていたことに気付かされる。

 

またサターンは白猫をステージに連れてくるのを嫌い、またラムと喋るリョウスケをバカにする。ここでも悪魔と天使の対比が描かれている。

 

その後メンバー間のギクシャクが爆発しPeriodという曲と共に激しいダンスシーンになり、その後五郎にたしなめられるシーンになるのだが、ここで突然リョウスケは「五郎さんに出会えて良かった」と別れの様な挨拶を始め、それに対して五郎は「俺も…いや、スタジオが出来た時に言おう」と答える。

 

なぜこの2人が別れを悟ったかの様な言葉を発するのか。

 

忘れていた記憶が蘇ったのか、それとも無意識なのかは分からない。ただ何度も過去と現代を行き来していた彼と、彼と出会っていた2人だけが悟ったのだ。もうこの時間は長くないのだと。

 

そしてPeriodの「僕らに迫りくるピリオド」という歌詞はバンド解散の危機と自分達が1965年に居られるピリオド、という2つの意味があるのではないだろうか。

 

その後リョウスケは逃げ出したラムを追って事故に合い死亡、4人と1匹は時空の狭間を漂う事になるのだが、突然ラムは助かった自分の2回分の命と引換えにリョウスケを甦らせ5人全員を現代に戻す様、神様に願い出る。

 

ここのシーンで突然ラムが神様に語りかけるので、最初オヤ?「頑張る」と言っているが一体何を頑張るのだ?と思った。でもこのシーン、私達には聞こえないだけで神様とラムは会話をしていると考えるとしっくりくる。

 

神様「リョウスケをタイムスリップさせる遊び楽しいなー」

ラム「私の2回分の命を差し出すのでリョウスケを生きかえらせ、この若者達を元の世界へお戻し下さい!」

神様「えー、でも天使の命2回分以上に楽しい方が上回るんだよねー。他に何か交換出来るものない?」

ラム「私も頑張らせて頂きますからーーーーー!!!」

 

みたいな。

神様が軽いのと若干値切り交渉みたいなノリが入っているのは申し訳ない(笑)

しかしこうやって神様の台詞を脳内補完すると「頑張る」の意味もちゃんとある様に思える。

 

そして一人踊るラムにスポットライトが当り、そのスポットライト(魂)は「言葉使いを教えてくれた」というお兄さん的存在のコウイチへが一旦受け入れ、リョウスケへと受け渡されていく。命の引き継ぎをライトで表現する美しさは内容云々抜きで好きな演出だ、という余談。

 

さて、この一件でプラネッツ5人は元の世界へと戻り、リョウスケもタイムスリップする事はなくなった。そして1年後、プラネッツは五郎が創りあげた酒屋の半地下にあるスタジオを訪問し、五郎にとっては50年振りに再会を果たす。

 五郎は50年前の別れの時に言えなかった言葉、未来で再会する為に取っておいた言葉「お前らに出会えて本当に良かった」と力を込めて言うのであった。

 

この時にフミトの事を「サターン」と呼ばずに「頼むぜ、リーダー」と五郎に呼びかけさせるのは、もうこの時のフミトは悪魔では無くなっていたから。だめだ泣ける。

 

なお、酒屋の女性にリョウスケが「ラム?」と声を掛けるのは、2回分の猫としての命と天使として命を投げ出したラムが生まれ変わった姿。

神様への「頑張らせて頂きます」宣言は、天使を辞めて人間として生きていくという「頑張らせて頂きます」という意味だったのだ。

 

といった感じで、一気に書きあげられなかったので文章めちゃくちゃで申し訳ないが、こんな仮説で私はとりあえずABC座の諸々の疑問を解決しようと思う。 

 

ちなみに1幕が終わると緞帳に「INTERMISSION 」という文字と画像がモノクロで映しだされている。そして2幕開演前になるとカラーになるのだ。

これはまたプラネッツが過去に戻ってしまう暗示なのか、それとも未来が変わってしまったという意味なのか、はたまた観客も違うこの時世界へ誘われてしまったのか…。

 そういう意味なら何ともお洒落である。

 

 

最後に。

解釈も仮説も人それぞれある様に、この世界にはきっと沢山のパラレルワールドがある。辻褄が合わなかったりこじつけもあるけれど、私の仮説もパラレルワールドの一つだと思って読んで下さると幸い。

 

ABC座2015年に対する自分なりの仮説、以上!!