トリッパー遊園地に対する自分なりの仮説

・トリッパー遊園地を観劇されていない方

・トリッパー遊園地をこれから初めて観劇される方

・トリッパー遊園地を観劇し、純粋にお芝居の世界を楽しめた方

 

以上の方は、まず今すぐこのページを閉じて下さい。壮絶にネタばれします。



ということで、存在自体を忘れかけていたこのブログの事を思い出したのは、またしてもタイムスリップを題材とした舞台「トリッパー遊園地」を観たから。

 

3年振り2回目、またもやタイムスリップ物でドツボにはまりました。どうもお久しぶり!


前回も書いたけれどタイムスリップ物というのはどこかで必ず時系列がおかしくなったり矛盾が生じるので、深く考えずに目の前で起こる事を純粋に楽しむのが持論。


なのにすぐに難しく考えてしまう悪い癖がムズムズと中毒性悶絶制御不能過敏性胸内炎症*1を起こしてしまい、小骨を取る作業の様にどこに引っかかっているのかを探し、それをどう解釈したら自分が納得できるのか…と考えまくる数日を経て、いくつかの疑問点を自分で消化できる仮説を立ててみました。



1.マサヒロの松葉杖

  1幕の半分くらいは松葉杖をついているのに、1幕ラスト辺りに突然杖無しで歩き、2幕では誰も杖の事には触れないマサヒロの松葉杖問題。


これは劇中のセリフにもあったけれど戦時中の舗装されていない道という描写なのはもちろん理由の一つ。

それ以外に、タイムスリップしたという状況を結構安穏と考え、あれこれ文句を垂れているどこかお客様感覚のマサヒロがマツジさんの出征の報を聞き、祖父が戦地で亡くなった事を思い出したところら辺から杖無しで歩き始める。

もしかすると杖はマサヒロが「戦争」という物をリアルに痛感し、自分の足でこの時代を生きていかなければならない覚悟というか身構えが出来たから不要になったのかもしれない。

つまり覚悟と自立心、そして自分の足で人生をしっかり歩み出したという表現のアイテム、それが杖。

という仮説。


2.登場人物の年齢

マサヒロの父であるマコトは終戦の年の春、誕生する。ということは2019年だと73歳。

マサヒロは31歳なのでマコト42歳の頃の子供、ありえることだしお父さん頑張ったね!


寅吉さんは10歳くらい?なので現代だと83歳。ひょいとマサヒロを持ち上げるのも、無いことは無いので寅吉さん頑張ったね!


…なんですけど、やっぱり何となく違和感。


話は少しそれるけれど、トリッパー遊園地は元々劇団赤鬼の「キャンディ遊園地、1705」*2をリメイク?した作品となっている。


この「キャンディ遊園地、1705」の初演は2008年、主人公の年齢設定は32歳。

つまり初演時はマコトが31歳の時にマサヒロが生まれており、マサヒロをひょいと持ち上げる寅吉は現代では73歳。


こっちの年齢設定の方がしっくりきてしまう。


なのでもしかすると脚本を現代の西暦だけ変更して、登場人物の年齢は10年前のものかもしれないという疑惑。

でも42歳のパパも83歳の力持ちもたくさんいると思うし、特に寅吉さんが元気な理由として「相撲で鍛えていた」と劇中に説明があったので深く考えないけど、なーんとなく気になったなという疑問の仮説。


3.マツジとショウヘイの出征

マサヒロは1幕で祖父であるマツジ、2幕で年も近く信頼がおける人物ショウヘイの出征を見送ることになるのだが、マツジを見送る時には万歳三唱の中「行くな」と引き止めながら泣き崩れ、ショウヘイ出征の際には自ら率先して万歳と叫ぶ。


この差は一体何なのか。

マツジに関しては「南の島で戦死する」という未来を知っており、どんなに叫んでも未来が変わらなかった無力感からの涙、これは簡単に分かる。

そしてショウヘイに関しては戦争でどうなるか未来を知らないけれどもうすぐ終戦を迎えることは知っているので、何とかなるというマサヒロのおぼっちゃん気質が出た事とショウヘイは必ず戻ってくると絶大に信頼を置いているからなのかなという仮説。弱い、弱すぎる仮説って分かってる!w

でもそうでも考えないと、あんなに笑顔で希望に満ち溢れた顔で万歳する理由が今のところ見つからない。


3.マサヒロとショウヘイの孫との関係

ここが一番の私的ひっかかりポイント!!!

あれほどまでに遊園地を愛していたショウヘイ。その孫とマサヒロが、どうして遊園地が閉園するという話になり初めて出会うのか。


マサヒロはショウヘイが出征してからどうなったか知らないという台詞もあり、だから現代で年老いたハルちゃんとショウヘイそっくりの孫と出会ったことにより、過去においてハルちゃんとショウヘイが結婚して子孫を残したのだと気付く。


マサヒロの「ということは、そうか…良かった!!」という台詞は、ショウヘイの孫を見てショウヘイの生存を確信し、ハルちゃんと無事くっついたという心からの喜びの台詞だと私は〝思った″。


そう、マサヒロの台詞と状況から勝手にショウヘイは生きて帰ってきたと思っただけで、ショウヘイが生きて帰ってきたという台詞は見当たらず、本当に生きて帰ってきたかどうかは不明。

もしかしてこれはミスリードなのでは?


そこでこんな突拍子もない仮説を思いついてしまった。


【ハルとショウヘイの間には子供が出来たが、ショウヘイは戦死している説】


つまりハルとショウヘイの子供は、ショウヘイが出征するまでの間に出来た子なのでは?


そうするとショウヘイが遊園地に戻らなかった謎は解決するし、ハルちゃんは子育てで遊園地再建には関わらず山ノ内家と疎遠になっていったのかもしれないと想像も広がるし謎も解決する。


そうなるとマツジの子供(マサヒロの父)とショウヘイの子供がほぼ同学年となり、マサヒロとショウヘイの孫がそんなに年が変わらない(様に見える)のも納得できる…という仮説。



ここまで壮大に想像しながら仮説を立てたけれど、まだ謎はいくつか残っている。


・2幕、マサヒロの国民服に付いている名札がマサヒコのモノだが、脱走兵と思われているのにその個人情報大丈夫?


・子孫の体を乗っ取り過去へ連れていく事ができるマサヒコが、なぜ清美さんの家には行けなかったのか。生きている姿で手紙を届けたかったとしても、清美さんが疎開している事すら知らないのはなぜ?


・あの時代に着ぐるみを作れるほどのフカフカの生地が大量に手に入るのか?


とか。

ここら辺に関してはまだ自分自身を納得させる仮説が立てられていないので保留。



演劇って限られた時間でどこまでその世界にのめり込むかというのはとても面白いし醍醐味だと個人的に思っていて。だからこうやってあーだこーだ考えて、自分で仮説立てて行く作業、めちゃくちゃ面倒くさいけど実は大好きwだってそれほどまでに舞台の世界にのめり込んだと思えるから。

逆に粗がどうしても許せなくてあれこれ言って最終的にポイっと放り投げてしまう舞台も*3あるけれど、それも結局は舞台にのめり込んだという証だと思っている。


でもどうせのめり込むなら楽しい方法でのめり込む方が幸せだと思うので、もし今回やこの先観劇した舞台でこのブログを読んでいる方にハテナが生まれたら、余白部分を想像してみるのも一興じゃないかなーと。イマジネーション!!*4


あと余談。

トリッパーに関して私はとても楽しく、毎回涙で観劇出来ているのだが、萌えポイントやらジャニーズっぽいダンスシーンはいらない派。


ダンスやわちゃわちゃシーンがあればファンは喜ぶだろうというサービス精神あざますっ!

踊ったらテンション上がってしまうし、わちゃわちゃでは周りの席で軽く悲鳴が上がっていたし、もうほんとお気持ち有難いっす!


なんですけど、せっかくのめり込んで観ている最中にマサヒロを観ているのではなく河合郁人を観ているのだ、と我に帰る時間が残念に思ってしまう。

特に外部舞台では河合郁人に戻る瞬間はカーテンコールの時だけで良いのになぁ、なんか勿体ないなぁ、なんて。


だから河合くんのアドリブもあまりヒートアップしすぎない、ちょうど良い感じのモノでありますように。とこっそり願ってますw


最後に。

仮説に関しては飽くまでも私個人が勝手に考えた物です。もし「自分と解釈が違う!」と思っても、そういう考え方をする人がいるのだと思ってそっとしておいて下さい。イマジネーションの産物です(笑)

それ以外のことも個人的見解なので、一つの意見としてそっとしておいて下さい(笑)


ということで、これにて終了。

またタイムスリップ物でドツボに嵌った時にお会いしましょうw


























*1:3/27発売、A.B.C-Z「Black Sugar」の歌詞より

*2:https://stage.corich.jp/stage/65050

*3:某モトイキ作品とかw

*4:cv.ミッキーマウス

ABC座2015年に対する自分なりの仮説

・ABC座2015を観劇されていない方

・ABC座2015を観劇し、純粋にお芝居の世界を楽しめた方

 

以上の方は、まず今すぐこのページを閉じて下さい。壮絶にネタばれします。

 

 

 

まず「ABC座」という説明から。

A.B.C-Zはデビュー以来毎年日生劇場で「ABC座」という舞台を上演しており、ここ2年は「ジャニーズ伝説」というジャニー社長の思い入れがかなり強い舞台を披露していた。

 

そして2015年。

A.B.C-Zがタッグを組んだのは先輩である錦織さん。しかも作・演出として。

今まで社長の作品を演じてきていた彼らが色々な外部の経験を得たこのタイミングで錦織さんにお願いするという事は、必然の流れの様な気もするしかなりの大冒険だったとも思う。

 

そんな作品「サンズ・オブ・マッシュルーム」はざっくり言うと、売れないバンドマンがビートルズのいる時代にタイムスリップし、衝突しながらも成長していく物語。

 

タイムスリップ物というのはどこかで必ず時系列がおかしくなったり矛盾が生じるので、深く考えずに目の前で起こる事を純粋に楽しむのが持論。だから非常に楽しく観劇していた。

 

「過去のプラネッツと現在のプラネッツのステッカーのロゴとデザインが同じ」という1点を除いては。

 

こんな偶然ある訳がないのは、その後のショウタの「僕たちは転載してません。東京オリンピックは5年後ですよー!」という、某エンブレム転載事件をもじった台詞からも分かる通りだし、わざわざこんな台詞を入れるということは、つまり彼らはこのロゴをどこかで目にしていた。と考えてしまった訳である。

 

しかしショウタの「転載していません!」という言葉を信じるのなら、ではこの事態は一体?

 

そこで楽しく深く考えずに観劇するつもりだったが悪い癖で一つの仮説を立ててみた。

 

(ここからは完全に私による仮説であり、空想広がる物語になるのでご注意)

 

それは「リョウスケは事故によって時空を旅する。生きることも死ぬことも出来ない時の旅人。5人は天使が変身した姿である白猫を助けた為、パラレルワールドに迷い込んだ」説。

 

非常にわかりにくい仮説なのは重々承知。なのでもう少し分かりやすく。

 

①現代にて5人が集まり「プラネッツ」が結成される。バンド名を考えたのはリョウスケ

 

②プラネッツが現代で札幌に向かう際に事故にあうが、この時にリョウスケだけ過去(1965年)へ飛ばされる。尚この事故の原因は猫ではない。

 

③過去でリョウスケは一人で「プラネッツ」というバンドを組んでいた五郎と出会う

 

④あるタイミングで再び事故に合い、過去での記憶をほぼ無くした状態でリョウスケは再び①へ戻る

 

 

これでちゃんと伝わるか伝わらないかは分からないけれど、つまりリョウスケだけが何度も1965年の同じ時間にタイムスリップし、何度も五郎と出会い、また元の世界に戻ってきてしまういわゆる「時の旅人」だったというトンデモ仮説を私は思いついてしまった訳だ。

 

なぜリョウスケが何度もタイムスリップするのかは、神様のいたずら気まぐれとでもしておこう。

ただ「顔も知らない生き別れの両親がいる」という設定は、「突然居なくなってもそんなに心配する人が居ない」という設定とも受け取られる。

 

何回も一人で過去へ飛ばされては戻ってきているリョウスケだったが、ここで彼の運命を変えるトラブルが起こる。

 

ドライブ中に白猫ラムが飛び出してくるのだ。

 

このラムというのがたまたま神様の遊びを見にきた天使が変身した姿であり(だから白猫)、ラムの登場というハプニングによりあの場にいた全員タイムスリップしてしまうのだ。

 

羽田に着いた4人はタイムスリップした事に驚いているが、リョウスケは4人ほど驚いてはいない。彼がこの時一番不思議がるのは白猫が登場した時だった。記憶は無いが潜在意識の中で見た光景と違う…その答えの出ない違和感の表情だったのでは。

 

その後五郎とプラネッツは出会い、瞬く間に人気者になっていくのだがこの時には2人とも記憶は無いが潜在意識はある状態だと考えられる。

 

この無意識の潜在意識でリョウスケがタイムスリップした際に目にしたバンド名とロゴを選んでいたとしたら…ステッカーの謎が解決。

 

さてこの辺りでとある人物の存在が大きくなってくる。それはフミトことサターンである。彼になぜ「サターン」という名が付けられたかは不明だが、サターンは売れていくにつれ自分勝手に暴走していく。その様はまるで悪魔にとり憑かれた様であり、サターンの紹介の際の言葉に「悪魔じゃないのよ、(本当は)悪魔でも」という意味が隠されていたことに気付かされる。

 

またサターンは白猫をステージに連れてくるのを嫌い、またラムと喋るリョウスケをバカにする。ここでも悪魔と天使の対比が描かれている。

 

その後メンバー間のギクシャクが爆発しPeriodという曲と共に激しいダンスシーンになり、その後五郎にたしなめられるシーンになるのだが、ここで突然リョウスケは「五郎さんに出会えて良かった」と別れの様な挨拶を始め、それに対して五郎は「俺も…いや、スタジオが出来た時に言おう」と答える。

 

なぜこの2人が別れを悟ったかの様な言葉を発するのか。

 

忘れていた記憶が蘇ったのか、それとも無意識なのかは分からない。ただ何度も過去と現代を行き来していた彼と、彼と出会っていた2人だけが悟ったのだ。もうこの時間は長くないのだと。

 

そしてPeriodの「僕らに迫りくるピリオド」という歌詞はバンド解散の危機と自分達が1965年に居られるピリオド、という2つの意味があるのではないだろうか。

 

その後リョウスケは逃げ出したラムを追って事故に合い死亡、4人と1匹は時空の狭間を漂う事になるのだが、突然ラムは助かった自分の2回分の命と引換えにリョウスケを甦らせ5人全員を現代に戻す様、神様に願い出る。

 

ここのシーンで突然ラムが神様に語りかけるので、最初オヤ?「頑張る」と言っているが一体何を頑張るのだ?と思った。でもこのシーン、私達には聞こえないだけで神様とラムは会話をしていると考えるとしっくりくる。

 

神様「リョウスケをタイムスリップさせる遊び楽しいなー」

ラム「私の2回分の命を差し出すのでリョウスケを生きかえらせ、この若者達を元の世界へお戻し下さい!」

神様「えー、でも天使の命2回分以上に楽しい方が上回るんだよねー。他に何か交換出来るものない?」

ラム「私も頑張らせて頂きますからーーーーー!!!」

 

みたいな。

神様が軽いのと若干値切り交渉みたいなノリが入っているのは申し訳ない(笑)

しかしこうやって神様の台詞を脳内補完すると「頑張る」の意味もちゃんとある様に思える。

 

そして一人踊るラムにスポットライトが当り、そのスポットライト(魂)は「言葉使いを教えてくれた」というお兄さん的存在のコウイチへが一旦受け入れ、リョウスケへと受け渡されていく。命の引き継ぎをライトで表現する美しさは内容云々抜きで好きな演出だ、という余談。

 

さて、この一件でプラネッツ5人は元の世界へと戻り、リョウスケもタイムスリップする事はなくなった。そして1年後、プラネッツは五郎が創りあげた酒屋の半地下にあるスタジオを訪問し、五郎にとっては50年振りに再会を果たす。

 五郎は50年前の別れの時に言えなかった言葉、未来で再会する為に取っておいた言葉「お前らに出会えて本当に良かった」と力を込めて言うのであった。

 

この時にフミトの事を「サターン」と呼ばずに「頼むぜ、リーダー」と五郎に呼びかけさせるのは、もうこの時のフミトは悪魔では無くなっていたから。だめだ泣ける。

 

なお、酒屋の女性にリョウスケが「ラム?」と声を掛けるのは、2回分の猫としての命と天使として命を投げ出したラムが生まれ変わった姿。

神様への「頑張らせて頂きます」宣言は、天使を辞めて人間として生きていくという「頑張らせて頂きます」という意味だったのだ。

 

といった感じで、一気に書きあげられなかったので文章めちゃくちゃで申し訳ないが、こんな仮説で私はとりあえずABC座の諸々の疑問を解決しようと思う。 

 

ちなみに1幕が終わると緞帳に「INTERMISSION 」という文字と画像がモノクロで映しだされている。そして2幕開演前になるとカラーになるのだ。

これはまたプラネッツが過去に戻ってしまう暗示なのか、それとも未来が変わってしまったという意味なのか、はたまた観客も違うこの時世界へ誘われてしまったのか…。

 そういう意味なら何ともお洒落である。

 

 

最後に。

解釈も仮説も人それぞれある様に、この世界にはきっと沢山のパラレルワールドがある。辻褄が合わなかったりこじつけもあるけれど、私の仮説もパラレルワールドの一つだと思って読んで下さると幸い。

 

ABC座2015年に対する自分なりの仮説、以上!!